15.敬老の日に驚いたこと

 

かなり久しぶりなクミコラム更新。

私のなかのブラックな部分を垣間見せちゃうので最近は控えめにしてましたが久しぶりに書きたくなりました。

 

主人の母方の祖母宅へ敬老の日が近い日曜日にお邪魔しました。

栃木にあるおばーちゃん家は96歳になるばーちゃん、68歳になる息子(パパ)、70歳になるお嫁さん(ママ)の3人暮らし。一か月に一回は行きます。

お世話になっているし軽い認知症症状のあるばーちゃんを面倒みている二人が大変かなと思ってできる限り顔を見せに行きます。

 

みんなでお昼を食べようと準備ができて「ばーちゃん敬老の日おめでとう」と言うと、

「若いの(息子夫婦)がいなくなったら面倒を見に栃木に帰ってきてくれるよな」

とおばーちゃんが言いました。

 

私の耳には

「息子夫婦が死んで自分が一人になったら面倒を見てくれる人がいないと困るからお前ら孫夫婦が東京から帰ってきて自分の面倒をみろ」

というニュアンスに聞こえてしまったので、聞き間違いかな、二人が何かの用事でいないとき、って意味かな?それならパパにもママにも何かあったらばーちゃん見てるから出かけてきていいよって言ってるし、なんて返事しようかなと思っていたらママが

「そんなに早く死なないよ」

って言うのでやっぱりそういう意味なのかとびっくりしてるとパパは

「人に頼ろうとするんじゃないよ、施設に入ればいいんだよ」

とばーちゃんを諭してました。

 

主人は呆れてゲンナリしてました。

 

 

ばーちゃんは

「あと4年で100歳だぞ」

と受け答えになっていない答えをしてお昼を食べるのに集中。悪びれる様子もなし。

 

 

時々困るようなことを言い出すばーちゃんでしたがまさか息子夫婦よりも長生きする気だとは思わず、すごいビックリしました。

パパとママは子供のいない夫婦なのでばーちゃんが亡くなったら東京に出てきて近くに住もうねって話していたのですが(お互い同居は無理なので)確かに息子夫婦が先に死ぬって可能性はゼロではなく、ありえない話では無いにしてもばーちゃん自身がそんな発想をするとは思いませんでした。

 

 

あと何年で100歳になるって90歳になる前からカウントダウンしているのは100歳になるのを目標にしているのかなと思っていたのですがもしかしたら100歳は単なる通過点でもっと生きるつもりなんだろうかと思いました。

 

というより自分は死なないと思っているのか・・息子夫婦が死んだらって想像はするのに・・不死の薬でも飲んだの??認知症だから??・・そうじゃなくても言いそうだけど長生きするってそれくらいの気概が必要なのかもしれません。

 

 

人が置かれている環境ってそれぞれあると思うのですが、自分の面倒は子ども、もしくは孫や兄弟、親戚が心配して手厚く親切にするのが当然と思っている人って結構いると思います。

あるいは他人でも誰彼構わず自分は親切にしてもらって自分のしてほしいことは最優先でしてもらえる、お金も相手持ちと信じている人。

 

 

特に、母親が自分の子供に対して「自分(母親)に何かあったときどうするの?一人でいるときに倒れて助けてもらえず死んだらどうするの?一緒に住むのが当然でしょ。パートナーを母親である自分より優先するとは何事か」という考えを持っているパターンは性質が悪い。本人も子供もそのパートナーも誰も幸せにしないと思います。

 

結婚して苦労するよりも結婚しないで親と同居して気を使わずお金も自由に使えてって人も多いと思います。親もそれならそれで楽しんでいる様子。

 

なまじ子供なんていると期待しちゃうんですかね、親も子もちゃんと自立してお互いの幸せを願うことができないものですかね。自分のことだけ考えていたら自分も相手も幸せになれないと思います。

 

 

日本舞踊の姐さんが言ってました

「親といえども悪縁ってあるからね、本当に生きるか死ぬかの時には助けなきゃいけないけど、それ以外は関わらなくていいんだよ。いざとなったら助けるというのも相手に言ってはいけないよ。」

この言葉で私はどれだけ救われたか。

 

血のつながりがあろうとなかろうと他人と自分が本当の意味でお互い幸せになるというのはどういうことなのかよく考える。どうしたらお互いによい状況になるのか相手のこと、その状況をよくよく考えて自分にできること、相手のためにできることを精いっぱいやるしかない。

 

 

そんなに難しく考えなくてもただすべての人や出来事、状況に感謝することを忘れなければなんでもやっていいんじゃんって最近は気楽に考えられるようになったので最近の人間関係はこの上なく良好です。

 

ばーちゃん、敬老の日おめでとう、そしてありがとうね!!

久しぶりのばーちゃん節面白かった。

 

 

 

 

 

14.許しのあるところに愛がある

 

相変わらず足しげくお不動様に通っているくみこ院長です。

 

門前仲町に昔からお住まいの患者さんが先日、

「深川のお不動様のお坊さんたちはどうして太っていてやる気がないんですかね?」

と治療中言うので

「そこがいいーんですよ」

と言ってしまいました。大好きなお不動さまとお坊さんたちなんですけどね、否定できないと思いました(;´・ω・)

 

ひとつ言えることは、確かに太っているお坊さんもいらっしゃるのですが、普通の体型の方のほうが多いです。ただ来ている袈裟のせいですかね?着やせの逆の着太りはしてるかもしれないです。

 

実際、おひとり治療をしたことがありますが、なかなかしっかりした体形です。エネルギーの流れも素晴らしいです。お話を伺っていると山に登ったりいわゆる修行と言われるようなこともされているようです。

 

 

ではやる気がないってところですが、良い意味でゆるいんだと思うのです。いい意味で適当に見えます(´ー`)

 

実際やる気があるかどうかは本人にしかわからないし、お護摩の最中に居眠りしてたりするとやる気があるのかなと感じる部分は確かにあるのですが、仕事って淡々とするものだなーとかポイントさえ押さえれば仕事はいいんだと感じます。

 

 

お護摩を受けているとくそ真面目に生きるのがばかばかしくなれるんです。

観ていてとっても癒されるんです。

悪口じゃないんです。

 

がんばらなくていいーんだ、これでいいーんだよっていう懐の大きさを感じます。

 

 

年始のころ、見慣れないお坊さんが沢山いらっしゃって、普段と違う気迫を感じました。

見たことのないお坊さんは声も大きいし太鼓もピリッとしてるし姿勢もいいし廊下で出会ったらさわやかに挨拶をしてくれるんです。

「お坊さんっぽい」

と思ったのも事実です。

 

 

でもいつものゆるーとしたぐだーっとしたお坊さんの方が癒されるんです。

いや、悪口ではないんですよ、ホント。

 

がんばりすぎてるお坊さんは消えてしまうので寂しいです。

新しいお坊さんが必死にやっているのを見たら、思わずそんなにがんばらなくていいんだよーって言いたくなります。

 

 

娘としても治療師としても母親に対して役に立たなかったという自分が許せなくて生きていく価値すらない気持ちで過ごしていた私にとってとんでもなく癒されたんです。

 

患者さんが来る直前、涙があふれてしまった時は鏡の前で

「女優!女優!!女優!!!」

と笑顔を作ったものです。

 

患者さんの前でも家でもどこででも泣いちゃいけないと我慢してきたけど、お不動様に行って泣かせてもらったんです。いっぱい泣かせてもらいました。

実際、母が亡くなった時泣きながら報告した時、信者でもない私にお線香をそっと渡してくれたんです。

 

 

もうこの先心から笑うことなんてないんだろうなって思っていたけれど、最近は大いなる愛を感じて気持ちよく笑うことが出来てます。

 

 

患者さんに

「先生日本舞踊を習ってから明るくなったね」

と言われましたが、日本舞踊の姐さんたちも大好きで私にはこれでいいーんだって思える生き方をしてるんですよね。

 

 

そもそも日本舞踊の姐さんたちとの出会いもお不動様でした。

お不動様、お坊さんたちにも日本舞踊の姐さんたちにも共通してあるのは許し、という点だと思うんです。ありのままでいい、あなたはそれでいいっていうどんな自分でもいいんだよっていう寛容さを感じます。

 

許し、寛容のあるところに愛って存在すると思うのです。

優しさも溢れてます。

 

 

本当に深川のお不動様とお坊さんたちにはとっても感謝の気持ちでいっぱいです。

いつもいつもありがとうございます(^-^)

 

 

 

 

 

 

13.一周忌を終えて


久しぶりのコラム更新。見せる気があるのか今は隠れコラムのクミコラムです。

先日母親の一周忌がありました。神式なので一年祭と言います。


一年たつなーという感慨深いものと大変だったなーっていう当時のことを思い出ししんみりしてました。が、実際の命日の日、一日すっかり忘れてしまったんですよね。前日と翌日は思い出したのに自分でもびっくりしました。

きっと母も忘れていいよってことなんだろうと思ったし、「ふっ」と笑えました。


治療師として誰よりも母の異変に気づきながらも鍼治療を拒否されずいぶん落ち込みましたがそれも今後の私の治療師人生を思っての親心だったのだろうと思うことにしました。もしかして愛されてなかったのかと思いましたがそれも単なる私の思い込みだと思う事にしました。


同時期に大家さんから部屋を出ていくように言われたこともすごくストレスだったし、新しい物件を見つけるのも大変でした。色々と重なり、私が治療師でいることを邪魔されているような気にすらなりました。実際、患者さんにももし良い物件が見つからなかったら移転することなく治療院をたたむかもしれない、と伝えたこともありました。

患者さんの一人から「私の持ってるコネを全部使うしなんとか次を探してほしい。じゃないと私の身体が持たない。絶対にいいところが見つかるから大丈夫!」と励まされました。


どうしようもなく落ち込み続けた一年半くらいでしたが、患者さんたちに励まされ、また子供のころというか学生時代からの友達からのさりげない励ましに心救われました。かれこれ10年以上文通している大学時代の友人からは先日8枚にも及ぶ長いお手紙をもらいました。いつもお互い3.4通なのですがどうにもこうにも私の落ち込みっぷりに対しての力の入ったお手紙でした。有難くて泣けました😭


ここ2年近くを振り返るように今年に入り引いたおみくじが2回とも凶。係の人が「あちゃー|д゚)」という顔をするんですよね。中身が「人生のどん底、耐えろ」みたいな内容。旦那に見せると「今、お前は間違いなく人生のどん底だ!」と断言されてしまいました。たとえ、自他ともにまた神様から見ても人生のどん底だったとしても状況が悪かったからこそ見えた景色もありましたし、ハッピーな出会いもありました。


厄年だったからかな、八方ふさがりの年だったからかな、色々と考えられますが起こる出来事はすべて自分にとって必要な出来事なんですよね。だからね、本当に悲しかったしつらかったからその思いもしっかり味わったし今があるんだなーと思います。今を味わう、今を生きる、それだけでいいんです。人生ってシンプル。人は余裕のないとき、訳のわからない行動に出てしまったり不用意に人を傷つけることも沢山あると思うのです。その時その時にできる最大限の愛情や感謝の気持ちをもって生きていけたら幸せだなーと思う今日この頃のくみこ院長でした。


つらい時期も支えてくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。おかげ様で元気を取り戻してます、本当にありがとうございます。また無理のない範囲で☺がんばっていこうと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。





12.気楽に生きる。


私の周りは年齢を重ねたねえさんたちが多いです。

色々なタイプの女性がいますがみなさん明るくさっぱりしててポジティブな人たちです。加えて言うなら図々しいとか我儘な面もお持ちでいらっしゃる。そして声が大きい。


年齢を重ねてイキイキと元気に過ごすには図々しいくらいでないとだめかもしれません。

皆さんもれなく短気な方が多いのでカッと怒ってさっぱりしてます。私もよく怒られます。でも引きずらないしこの年齢で怒られるのもなかなかいいものです。


でもみなさん色々と経験を重ねてきて悲しいこともつらいこともど畜生と思うこともあったようで。先日、ついと70歳を超えた踊りのお師匠さんにこんなことを聞いてしまいました。「お師匠さん、人は年をとるとあまり落ち込まなくなるものですかねえ?」するとお師匠さん、「そうねっ。もう先がないのよ、私たち。若いころはなんだかんだと落ち込んだりしんみりすることもあったけど。今だってちょっと落ち込むことはあってもすぐにやらなきゃいけないことを思い出して落ち込むひまがないのよ。あはははー」と笑ってました。


なるほど。一方で、健康体なご高齢な患者さんが大変気落ちして20前後で好きでもない人と結婚させられたことから今の現状もくよくよと悩んでいらっしゃる姿を見ると違う点はなんだろうなーとシルバーウィークにふと思ってみたりしました。


踊りの姐さんたちが「久美さん、あんた根暗ねえ」(いや、あの、母が亡くなってさすがに落ち込んでますって。と思いますが)と言ってなんだかんだと芝居を観に誘ってもらったりして、わはははーって笑ってる姐さんたちを見るほうが元気になる気がしました。ふと気が付くと、年配の方が多いのですが、みなさんマスクをしてる方などほとんど見えず、そのことを隣にいた姐さんに言うと、「みんな元気だからバイ菌だってよって来ないんじゃない?」とのことでした。


なるほど。なるほど。姉さんたちも色々と身体の不調があるもので。EXILEのライブに誘ってくれる姐さんたちももれなく同じような感じでして、落ち込んでるときほど外に出て色々行動した方がいいのよって堂々と言ってます。


ふむふむ。ところで長寿と長命とは似ていますが、前者は身に回りのこともしっかりできて元気に長生きしている、社会に参加できている状態をいい、後者は単に長生きしている状態を指すそうです。


いわゆる長寿、と言われる状態になるには結局他人との接点が必要なんだなーと思いました。くよくよしたり、上手な言葉のキャッチボールが出来ずに家族を含む他人とのコミュニケーションがうまく取れないと結果的に心身の健康も害してしまったりしますよね。



落ちこんでいる時、あまり暗い顔をしてるのを見せるのが嫌な人もいると思うのですが、そんな時ほど多少暗い顔をしててもいいから他人と積極的にコミュニケーションを取ったほうがいい気がします。だってね、自分が悲しい顔や暗い顔をしてても気が付いてくれる人ばかりじゃないんですよ。自分の気持ちを明るくするためにもぜひ他人とコミュニケーションをとって気楽に生きてください。気楽な人と一緒にいたら周りも楽な気持ちになれますから。





11. 人は踊る必要があるんです

 

日本だけでなく世界中にいわゆる民族舞踊と言われる踊りがあります。

これらはその地域に合った踊りであって、受け継がれてきたものであります。

手は木の枝や葉を表したり足を踏み鳴らし大地を表したりします。

 

自然を身体で表し、自然と一体になることで心身の健康を維持するため、ストレス発散のために踊りがあると言う説もあります。

では温暖化で少し踊りが変わるのではないかという気もしますが・・・。

今以上に身体を動かして生活していたであろうけど大昔から踊りが人々にとって必要だったのは確かです。

 

色々な説を唱えてる心理学者のユングの考え方のなかで「集合的無意識」という概念が有名ですが、ユングは国や民族を超えて人類全体に共通して存在する無意識の深層としての集合的無意識を民族舞踊の中に見たと言います。遺伝子レベルで脈々と受け継がれるもの、とでもいうべき概念です。

私はユングのこの考え方が好きで何かに悩んだりするとこの集合的無意識について考えることがあります。集合的、というからにはその上には個人的無意識領域があるとされますが、そこは各々が経験する魂の部分で構成されると言われています。その上には人が意識できる領域があります。人が病気になるときというのは意識、個人的無意識にある部分が関係してると言う説もあります。

 

私たちが生きていくためにはぶっちゃけていえば集合的無意識があればいいわけで、意識や個人的無意識があるがために好き嫌いやこだわりなんてものができて悩み、あげく病気になってしまうわけで、と私は思うのです。瞑想をして集合的無意識の世界につながりおかしな脳の癖を手放すと心身に良い状態を作れると言われます。凡人の私は瞑想なんてしたら夕飯何食べようとか考えちゃうので瞑想するのはなかなか難しいです。瞑想は一歩間違えると変な宗教になってしまうので気を付けてくださいね。

 

 

というわけで~誘ってもらったので久しぶりにEXILEのライブに行ってきます!大阪遠征~~

歌と踊り、音楽は心と身体を元気にすることができます。

日本舞踊をする理由と踊りって大切だよねってというのをおおげさに言ってみたくなって書いてみました~。

 

 

 

 

10.般若心経


足しげく深川の成田山深川不動堂に通っているくみこ院長です。

自分の心を整えるためお護摩祈祷でお経を唱えるうち般若心経をうっすら暗唱できるほどになりました。


般若心経の翻訳は調べたらすぐに出てきますが私としての解釈はこだわりと執着が無かったら生きるのって楽ちん~~って思って唱えてます。

悩みや種々の感情は自分のなかにあるこだわりによって生じたりするわけで。


以前に飲食店でスタッフの人に赤ワインを鞄の中にこぼされたことがあり、もう販売していない手帳が赤ワインでシミだらけになってしまったことがあるのですが、その時旦那が一言、お気に入りの物なんて持たなければいいんだよ、と言って確かにそうなんだけどねえ。と思ったことがありました。人でも物でも環境でも好き嫌いやこだわりがあってもいいけど絶対これじゃなきゃ嫌っていうのはあまり意味がないのかもしれないですね。


無駄な執着心を無くすため足しげく通っているお護摩祈祷ですが人間の欲は際限ないようで、だんだんとお護摩祈祷の太鼓やお経について好みが出てきてしまい、「今日の太鼓は良かったなー、お経はちょっと聞きずらかったなー、説法良かったなー」などと勝手に思ってしまいます。なんでもありがたやーと思えばいいものを勝手にいい、悪いを感じてしまう自分の器量の狭さを実感する毎日です。


お坊さんの説法は淡々とお話されることが多いのですが、先日は妙に熱が入った話方で「お互い慈悲の心を持って良い言葉で話しましょう」と愛語についてお話されてました。誰でもうっかり相手を傷つける言葉を言ってしまったり無意識に発した言葉で相手が傷ついていたりするもので、気を付けていたとしても人間関係にひびが入ります、十分気を付けましょうとお話されてました。・・・お坊さん、何かあったんですか、大丈夫ですか。


身近な人や甘えてしまう関係の人には知らず知らずのうちに暴言を吐いてることってありますけど本当に気を付けたいものですねえ。言われたことは忘れたとしても案外嫌だなって思った気分って忘れられないものですから、でもそれも執着心のなせる技ですし、もうこれ以降はせめて相手が傷つかないように自分がわがままを言わないように気をつけるしかないですよねー。




9. 踊りと鍼灸


去年の2月くらいから深川のお不動様に足しげく通ってます。


最初は母の病気がわかってもう祈るしかないと思ってお護摩祈祷に参加しだしました。少したつと常連さんがいることに気が付きました。何か深刻なことを抱えているのだろうか、と心配になるくらい熱心な方もいたりしてみんなの願いが叶うといいなと思っておりました。


常連さんにはお護摩祈祷を受ける場所に定位置があるようで、なんとなく常連さんたちの顔も覚えだしたころ、いつもいい声でお経を唱えてるおじいちゃんの顔が見えなくなりました。その当時は母の病気のことで頭がいっぱいでネガティブな気持ちでいたので、おじいちゃんは病気か死んでしまったんじゃないかと心配になり、つい顔見知りのお坊さんに「いつもあの辺にいるおじいちゃん元気ですか?」と聞いてしまいました。


お坊さんはちょっと答えにくそうに「元気ですよ」と答えてくれて、とりあえず元気なんだと安心しました。すると近くでお話してた常連のひとりの女性が、「お坊さんだからあまり個人情報を教えられないんだと思うけど、おじいちゃんは旅行に行ってるんですよ」と教えてくれました。


色々お話してるうちに女性が「うち、日本舞踊教えてるの、坂東流」と言うのです。京都にいるときに身体の軸ができると鍼をするにもいいなー、日本舞踊なんていいんじゃないかと漠然と思っていたので、着物も持ってないしもちろん着付けもできないけど数日後体験に行ってそのまま入門、現在1年と半年ほどたちました。


お師匠さんが粋な人っていうんですかね、かっこいい女性なんです。カリスマ性があると言うのか芸事に生きてきた方なんだなーという感じです。優しくて面倒見の良さが抜群です。色々なお師匠さんがいらっしゃると思うのですがお師匠さんもお弟子さんも皆さん面白いし優しい人ばかりです。日本舞踊の世界を何も知らない私に色々と教えてくれる貴重な人達です。



母の命がもう短い、というのになぜに今習う?と言われそうですが落ち込んでしまったとき、自分を立て直すのはなかなか容易なことではありません。人は胸を張ると落ち込めないといいます。逆に下を向くと落ち込むことがあるかもしれません。楽しいから笑う、のではなく笑うから楽しいんだという行動が気分に与える影響は大きいものです。日本舞踊の身体の使い方は気持ちの落ち込みを食い止めてくれると思いました。


日本舞踊の身体の使い方は予想通り、身体の軸をしっかりすること、胸ははる、肩の力は抜き、指先には神経が行き通っている。へその向きは前に向かってまっすぐ。観客は踊る人の顔を観てるのだから顔は上げる。

鍼の勉強会で技術練習で注意される点もほとんど同じです。



踊りも鍼も芸事だと思うのです。

ああ、やっぱり通じてたんだなって良いお師匠さんに習えて実感する日々を送っています。

気持ちが落ち込んだ時は顔をあげて胸を張ってみてください、ちょっとマシかもしれませんよ。




8.大学院で学んだこと

 

京都で2年間、免疫微生物学教室という研究室にお邪魔していました。

鍼灸師の修士号を修得できましたが、研究室の先生方が優秀だったからです。

まなみ鍼灸院の"まなみ"もお世話になった女性の先生のお名前です。


はり師ときゅう師の国家試験の受験の前、受験後は本来なら大学4年生に進学するところをすぐに大学院修士課程に進むべく、免疫微生物学教室の教授である雨貝先生に「先生のところでお世話になりたいです」と言ったところ、「よし、早いほうがいい」と早速教室に私の机を用意してくれました。そんなわけで国家試験を受験した次の日から地獄の院生生活が始まり、十数年の付き合いの旦那から人格が変わった、とまで言われるほどの2年間でした。

 

雨貝先生がどんな研究をしているかなんて興味がなく、ただただ、授業を受けて先生のなかにある情熱に感銘を受けてお世話になりたいと言ってしまったので、あとから他の院生に「雨貝先生は有名な論文雑誌に名前が出てるよね」と言われても知らなかったほどです。半年くらいして、他の院生の先輩に"天貝先生"と間違えて書いているのを指摘されてしまいました。

 

雨貝先生は胸腺という人体の免疫機能にとって必要な臓器を研究されていました。というより○○バカでいうところの胸腺バカという感じです。彼の研究対象に対する愛情はとても深く、また若い人たちにも未知のものを不思議だなー、なんでだろうなあーと興味を持って生きてほしいと願っている人でした。

 

研究室に入ってすぐに「和田さん、サイエンスとはなんだかわかりますか?」と聞かれ、考えの浅い私は「仮説をたてて研究することですか?」と答えると先生は「サイエンスとは毎日考えることですよ」と言われ、禅問答のようでやっぱりよくわからないけれどキュンっときてしまいました。

ネズミを使っての研究実験だったのですが、ある日先生が実験中、ネズミの死体を入れる袋を用意していないようだったので何も考えず袋を用意したら「君はお手伝いさんとしてここにいるんじゃない、自分の研究に専念しなさい」と怒られてしまいました。他の院生の人たちはその研究室の先生たちの授業に使うものを用意したり色々と雑用が多かったようですが、私は恵まれた環境にいられたし、自分で選んだ場所に間違いはなかったと思いました。


研究室で話しかけられたと思って返事をしたら「僕は胸腺の細胞に話しかけたのであって君に話しかけたんじゃありません」と言われてしまいました。

研究について愛想笑いをした際には、本気でなんで今笑ったんだって怒られました。それまで愛想笑いで生きてきたようなものなので愛想笑いの通じない世界があることを知りました。

 

またある日、ネズミのしっぽの静脈に薬を入れる練習として生理食塩水を注射器で入れる練習をしていたところ、ネズミが暴れて注射器を落としてしまい、私の足の甲に注射器が垂直に刺さったのを見て「わっはっはっは!40年近く研究してるけど自分の足に注射器刺してる人初めてみた」と大笑いしてるので、痛いしネズミの体液も入ってしまったのではないかと不安になり「先生、どうしたらいいですか!?」と聞くと、「大丈夫、ネズミは無菌室にいたから。・・もし心配なら消毒しとけば大丈夫」と言うのでとりあえず消毒しました。

 

たぶん、妙にビビりなところはネズミの血が足から入ったんじゃないかと思うことがたまにあります。

 

雨貝先生については本当に実験と研究が大好きで情熱をもって取り組んでいたし、たぶんやりたくないことも研究をつづけるために一切手を抜かずに取り組まれていたなと思います。先生には沢山怒られたし胸腺に興味が持てずしんどいだけでもう嫌だと思い3日間ほど研究を放棄して引きこもったこともあるし大雪の降る日は車を運転中にこのまま事故ったら明日研究室行かなくていいかなと思う日もありました。

 

でも30歳すぎて逃げるわけにもいかないので泣きながら実験をし続けました。2年間、最後の最後まで自分のやってることが何がなんだかわからずボロボロになっただけではないのかと思いましたが、出来上がった論文をみて、すごい実験をさせてもらってきたんだなーと思ったし、この実験手法を今現在できるのって私だけじゃない??と感動した覚えがあります。

 

修士論文の内容は、移植した胸腺の血管はレシピエント由来の血管内皮細胞によって形成されるけど胸腺特有の血管として機能するというものです。胸腺の役割とは骨髄細胞を取り込み免疫に関わるT細胞を身体に送り出すことですが、骨髄細胞をT細胞として成熟して胸腺の外に出すためには当然血管から骨髄細胞を取り込みT細胞を血管を通って出すものと考えられるので、胸腺の血管は特有なのでは、そしてそれは胸腺が位置するのど元あたりにあるからなのか、それとも違うネズミの腎臓に移植して異なる臓器からの血管によって育った胸腺ではどうなのか、という疑問からの実験、研究のために地獄の2年間でした。

 

不出来な学生だったので先生たちも大変だったのではないかと思います。

お邪魔することができて近くで先生達の研究する姿を間近で見られたことは何よりの財産だと思います。

 

雨貝先生の訃報を受けたのは去年の7月で、葬儀ほかすべて終わってから連絡をしてほしいとの先生のご遺志だったそうですが、みんなそれぞれ自分のやるべきことをやりなさいという意味だったんだと思います。昼間ふとメールが入っているので何気なく読むと先生の訃報で、すぐ患者さんが来るのに動揺した記憶があり、誰かの訃報の連絡は緊急じゃない限り夜にしようと思いました。

 

先生を想うと望む結果を出したかったら全力で無我夢中でやってそれでも結果が出ないこともあってそれでもやり続けるし気持ちで負けない、絶対負けない、苦しくてもしんどくても楽しいと想うことを全力でやる、ということの大切さを痛感します。

今、残された奥様と時々お手紙のやり取りをしますが、大切な人を亡くす寂しさやつらさというものは計り知れないものですね。自分が大切に想う人と明日も会える確率はきっと100%ではないから、自分が大事だと想う人には毎日全力で愛情を注ぎたいものだなと思うこのごろです。

 

 

 

 

 

 

 

7.親孝行について

 

高校を出てからはどうやったら親から経済的にも精神的にも自立して生きていけるんだろうと思って生きてきました。自分にできる親孝行は親よりも早く死なない、心身ともに健康で親に頼らず経済的にも精神的にも自分の力で生きていくことだと思っていました。

 

母が亡くなったとき、結局のところ親に認めてもらいたい、ほめてもらいたい、という幼い思いを生きるモチベーションとして生きてきた自分に気がついてしまいました。とりあえず健康ではいる、親より早く死ななかった、でも経済的な自立は夫のおかげ。母の願いとしては仕事なんてどうでもよかったから孫の顔を見たかった、というものだったので両親の希望すら叶えてあげられず、自分の無力さに大変がっかりしました。

 

今まで間違ったモチベーションを抱えて生きてきてしまったなら仕方ない、考えを改めるしかありません。ずいぶんと年齢を重ねてしまったのですがとりあえず考え直そう、この年で気が付けただけマシだという気持ちと今まで頑張ってきたことも全部無駄だったのかなという気持ちもしました。とりあえず親孝行の残り、この先心身ともに健康で自立して生きていくことが残されたわけです。

 

夫は生きる目的のないやつは生きる資格がないと言います。

果たして私にとって生きる目的は今まで何だったんだろう、あったような気がするのに何だったのか分からなくなってしまったし、これからもどうしたらいいんだろうと思いました。朝、目が覚めなければいいのに、早く一日が終わればいいのにと願い、早くお母さん迎えに来てくれないかなと思ってしまいました。

 

生きるモチベーションを失い、どこに向かっていいのか分からなくなってしまった私に夫はお前の悩むことくらいは既に何千年前から古典に書かれてる、本を読めと言います。

 

そんなわけで空海さんについて本屋さんで目に留まった簡単そうな本を購入、開いてみました。「弘法大師」と呼ばれるのが一般的だと思うのですが空海さんは真言宗と密教文化を日本へ伝えた人です。幼少のころとても親に大事に育てられ、出世の道も約束されていたのですが仏門に入りました。語学堪能、書、文芸、外交、土木技術、ほか教育者としてもあらゆる分野で才能があった方のようです。

 

空海さんの著作のなかに「三教指帰」というものがあります。これは空海さん24歳の時の著作で、戯曲形式の小説となっています。

三教指帰の中で「親は老いて寿命も近づき、私の出世を待っているのに、・・頑固な愚か者の自分には恩返しするすべもない。進退きわまっておろおろするばかりだ」と言い、続いては小さな孝行は身を労して親に仕えることで、大きな孝行は世の人を救うため天下に尽くしてやまないこと」と書かかれてるそうです。解説とは違うけど、私の思いと比較するなんて失礼なんですけど、空海さんほどの人でもそんな風に思うものなのかな、と少し安心しました。

 

また、お弟子さんが空海の手紙、詩編、脾文、願文などの文章を写し取ってまとめた「性霊集」というものがあります。その中で、「どれが正しい道なのかわからず、分かれ道を前に何度も泣いた」という文章があるそうです。ものすごく努力されまた色々な文やで才能もあった人だからこそこのように悩めたのだろうと思います。

 

 

また念仏で万民を救済する、で有名な浄土真宗開祖、親鸞聖人。説明が雑ですが面白い人なのでまた今度詳しく書きたいです。親鸞聖人の「亡き父母のために念仏を唱えたことはない」という言葉があります。どういう意味なのかよく分からなかったのですが、「命は輪廻転生する、自分の父母も例外ではない、念仏というのはこの世を生きる者のために届けられたものであって、亡き人のための追善供養に利用するものではない」という立場からとのこと。

 

またもや書かれている解説とは違うのですが、輪廻転生があるかは私にはわからないけど、亡くなった人と言うのは身体が無い分痛いだの苦しいだの移動する大変さもないしとても自由なのではないかと思うし、神様、仏様が近くにいるのだから確かに念仏を唱える必要は無いのではないかと思うのです。そう思うと死ぬってことはむしろめでたいんじゃないかとさえ思います。生きるほうがよほど苦しい、けど楽しい。

 

 

結論的には、どんな親子でも多かれ少なかれ親の期待・理想と子供の夢・現実には違いがあるしお互いがその違いをどれだけ認められるか受容できるか、そのすき間が生きてる間に少しでも埋められたらお互い親孝行、子孝行です。

 

 

誰にでも承認欲求はあります。私は無意識に両親に認めてもらいたかったのでしょう。親孝行とは真逆の幼い欲求です。親のほうでも自分の理想を要求していたのかもしれません。しょせん、親子も他人ですからいちいち他人の言うことを真に受けて自分の道で迷子になってしまってはいけないと思うのです。私は幸運にも一緒に歩んでくれる夫がいましたがそれもしょせん他人です。自分のなかにあるどうありたいか、という志の灯を頼りに生きていけばそれだけでいいんだなって最近思えました。それだけ、なのにウロウロしちゃったりして難しいものなのかもしれません。

 

 

生きるモチベーションについてはまた次回に。

 

 

 

6. さくらに教えてもらうこと


ブログにも書きましたが、桜といえば木花佐久夜姫、有名なところで富士山本宮浅間大社、各地の浅間神社に祭られてます。


美人さんだった木花佐久夜姫は天照大神の孫の瓊瓊杵尊に気に入られて求婚されました。

一回だけの性交渉によって彼女は妊娠したため、旦那さんである瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)にほんとに神様の直系である自分の子供か怪しまれてしまいます。彼女は出産するときに部屋に火をつけてその中で無事に出産するというパフォーマンスで本当に神様の子供だという疑いを晴らしたという逸話があり、安産、子育ての神様としてだけでなく、火の神様としても知られています。富士山の噴火を抑えるために水の神様という面も持っています。

父親の大山津見神とともに甘酒をつくったとして酒造の神様でもあります。


日本神話もギリシャ神話も似ているなと思うのですが、神話の世界の神様たちってすごい人間くさいと思います。かなり自分勝手ですし。親兄弟、性格、そこから何のための神様なのかなどいろいろと調べると面白すぎてたまらない。神社に行くときは会いたい神様を祀る神社に行きます。


木花佐久夜姫は春爛漫といった桜の満開に咲いた姿のような美しさとちゃんと自己主張する気の強さをもった女性です。桜を見るとこの神様を思い出してしまいます。



桜の木は年中注目されるわけではないのにどの季節もゆったりと存在していて自然に溶け込んでいます。個人的には暖かくなりはじめ開花する前、むくむくと少し強めのピンクのつぼみを膨らませる時期に何かを期待させるような期待感に春を感じて桜の健気さと美しさに感動します。


大岡信さんの「言葉の力」という本のなかに、とても美しい桜色に染まった布は桜の花が咲く直前のころ、桜の幹の皮を煮出すことによって得られるということを染色家の方から聞いた著者が桜の花の色は木そのものの中に内在する色の一部であることに気が付き、言葉といものもまた人間そのものの深部から出てくるものであるんだな、ということを言っています。

ざっくり説明しすぎてますが、花びらひとひらは木全体の表現の一部であるし、言葉ひとつはその人間全体の一部であるのです。美しい言葉、正しい言葉を生むとしたら言葉が出てくる根源の内面を意識するしかありません。



桜が咲く時期、頑張って今年も咲いた桜全体を愛おしいと思う気持ちと自分の内面から出てくるものに美しさや感動があるのか確認したい気持ちにかられ意味もなく桜の咲く場所に足を運んでしまいます。と、先日ヨットでお花見クルーズをしてお酒の飲みすぎで後半記憶を無くし一緒に行った患者さんに介抱されてしまったくみこ院長でした~~





5.笑顔について

 

笑う門には福来るとありますね。

近年では科学的にも笑うとナチュラルキラー細胞が増えて免疫力が高まるとか言われ、気持ちもリラックスして穏やかな気持ちになって周囲の人間関係もスムーズになって・・・等々いいことだらけのようです。作り笑いでも効果があるそうです。

 

日本には神直毘神、大直毘神という神様がいます。

この二柱の神様たちは禍を直すために生まれ、凶事を吉事にかえる霊力があるそうです。

私の解釈としてはつらい時でも笑いとばし自分に起きることを客観的に見て、あまり大きな問題として取り扱わないということが大切だ、という意味としてとらえております。

 

深川のお不動様で出会ったおじいちゃんに、「僕はもう年だから良いこともそんなにできないけど、人様の迷惑にならないようにすることと、和顔施、といって穏やかな顔で人と接するようにしているよ」と教えてもらいました。仏教では七つあるお金が無くてもできるお布施の一つに和顔施というものがあるそうです。

確かにそのおじいちゃん、好々爺という感じのするおじいちゃんです。

 

旦那は仕事が終わり疲れて帰ってきた私に「何もできないんだったら愛想くらいよくしておけ」とちょっとひどくな~い?っていう言葉を投げかけたことがあります。

ものすごくカチンときましたが確かに家族であっても疲れた顔や怒った顔は良い環境を生まないと反省し、努めて家でも外でも笑顔でいるようにしております。

 

たとえ嫌なことがあっても家の中ではニコニコして平和な時間を過ごすにはとても大切なことのように思うのです。でも家から一歩外に出たら赤の他人であってもその時その時の負の感情をぶつけてくる人は沢山います。また、ニコニコしていたら「こいつは頼んだらなんでもやってくれるだろう」と利用してくる人もたくさんいます。

 

私は無意識に笑っているのか頼んでも大丈夫だろうと思われそういう人から散々利用されてきたと思います。何で私なんだろうとか本当は嫌で仕方ないのに押し付けられることもあったし、「今は無理です」と断ることもあったのですが、「大丈夫、大丈夫、ちゃらっとやってくれたらそれでいいから」と大変失礼な言いぐさで個人的なお願いをされることもありました。

 

私自身も人から親切にされることも沢山あるので仕方ないのかなと思うこともありますが、最近はちゃんと断ろうとがんばっております。友人と思っていた人からお金の面でも手間暇の面でも感謝されずにやってもらうのが当たり前とばかりに利用されるとやっぱり凹みます。今まではちゃんと断れずにそういう人とは距離を置いてきたのですが、世の中に無意識にこれくらいやってもらって当たり前、という考えの人は意外と多いので一々気にしていたら付き合える人がいなくなってしまいます。私もそうですが、特に家族や身近な人に対して悪意なくお願い事をしてしまうことってあると思います。

 


よくよく考えると私自身、自分が調子の良い時には自然とニコニコしていたはずです。一方私が気分の良い時、とても悲しかったりつらかったりした人もいたはずです。そういう人の前で何も考えずにニコニコしていた自分がいたんじゃないかと想像すると申し訳ない気持ちになります。調子がよかったら何も考えずにニコニコして、悪い時にはがんばってニコニコしていたので自分が調子の良い時、悪い時、周囲の人の置かれている状況に思いが至らず、同じくらい心に余裕がなくなって周囲の人を無意識に傷つけてしまっていたんだなと反省しました。

 

ちなみに母は嫌なことがあっても笑って我慢するタイプの人でした。

父親は嫌なことがあればすぐ顔にも言葉にも出すタイプで周囲の人間が嫌な思いをしても気にしないタイプです。

母はがん細胞に負けて死に、父は全く元気です。

 

誰でも感情を抑える必要はないと思うし、結局笑顔は大切なコミュニケーションの一つだと思います。総合すると必要な とき必要な分だけ自分のためにも他人のためにも笑える大人になりたいなあとこの頃は考えるのですが、なかなかそのさじ加減が難しいなと思います。

 

 

次回はテーマ未定です(笑)←ごまかし笑いですね・・

 

4.いろは歌 お経に救われました

 

色は匂へと 散りぬるを   我世たれそ 常ならむ

有為の奥山 けふ越えて  浅き夢見し 酔ひもせす 

 

この歌はすべての仮名を重複させずに使って作られた歌で手習いの手本として広く受容されたそうです。どうやら原典としてはお経のようなのですが、出元や解釈が人によって異なります。

患者さんにお借りした本の作者の玄侑宗久さんの解釈にそうか~、と私は納得しました。

 

玄侑さんによる歌の解釈は次のような感じです。

花の色が衰えていつしか散るようにあんなに元気だった人もやがて死ぬんだなあ。

有為の奥山=無為自然、ありのままの生き方を理想とするけれど、現実にはそんなこと無理で、自分勝手な価値観を正しいと信じ、その有為なる道を山に登るように進んでいくのだな。

今日死んだ、今まさに死につつある状態で死んでみるとなんだか全てがはっきりスッキリ見える。振り返ってこれまでの人生を見ると、まるで浅い夢、あるいは酔っぱらっていたとさえ思える。

これからは浅い夢も見ないし、酔いもしないぞ。

 

あれ??これって私がこの前経験したこと??

なんだか全てがはっきりスッキリ見えるって感覚あったあった。

今までの人生で見てきたものってなんだったんだろうって思った。リアルな世界ってどこにあるの?今見えてる世界はリアルなの??っていう感覚ですかね。

映画のマトリックスの世界が本当にあるような気がしてしまいました。

 

玄侑さんの本を読んでちょっとあの世に行ってきた、みたいな気持ちになりました。

よく、現実は自分のとらえ方次第で人それぞれに見えている現実が違うと言われるけど本当に人は自分勝手な価値観を正しいと信じて現実を作り出しているものなんだって自覚できました。

 

人生は楽しいと思えばその通りになるし、人生は学びの場だと思えばその通りだし、人生は苦労ばかりだと思えばそうなんだってことですよね。何かのために誰かのために生きるとか好き嫌いやこだわりも何やら自分でルールを決めて生きている気がします。

あの世はそういう縛り?しがらみ?のようなものはなく、あるがまま、思い込みなどの補正がかかることのない世界が広がっているような気がしました。

 

母が亡くなり、臨死体験じゃないけれど何かこの世とあの世の世界を見比べてしまった私は今までの人生はなんだったんだろう、今自分がやっていることもなんなんだろう、意味があるのだろうか、毎日が夢の世界みたいで生きることもむなしいと感じてしまいました。

それでも時間は過ぎるので今私が自覚すべきことは「わからないことを思い詰めて悩んでも仕方ない。全てが夢かもしれないと肩の力を抜きつつしかし全てが現実として精一杯生きる。」という結論になりました。玄侑さんのお言葉をお借りしました。

 

最近良い意味でどうでもいいか、という心境になってます。

夜寝るときに次の日の朝目が覚めても覚めなくてもいいかなって。目が覚めたら有り難く一日生きさせていただくし、覚めなかったら覚めなかったでいいかなと思います。

住む家があって、食べるものがあって、着る服もあるし、もうこれ以上望むものもないような気がするのです。

といいつつまだ欲深い自分もいたりするのでなかなか悟りの境地にはならないのですが、仮に全て夢かもしれないならニコニコ笑って楽しいほうがいいなあと思います。

 

笑顔については色々とあるので・・次は笑顔について書こうと思います。




3.臨死体験??悟りの境地

 

親が死ぬことって最大で2回だと思うのですが、間違いなく大きなイベントです。

イベントと書くと不謹慎と言われそうですが想像以上に大変。そもそも親が死ぬ想像なんてしたことない、というかできません。

だから自分がどんなことになるんだろうと全く想像もつかず、立ち直れるんだろうか、などと弱気でいました。ちょうど私と同じ年齢くらいの患者さんで残念なことに親御さんを亡くされた方々の身体は予想のつかない変化をしていました。まさに心身一如、心と身体はつながっているのでしょう、病気の親御さんを看取ることのつらさは私自身、想像以上につらかったです。

 

自分が経験してこんなに辛かったのか、と思ったり悪気はないのだろうけどこちらが傷ついたり嫌な思いをするような対応をされたり、逆に感動するくらい心温まる対応していただいたりしてこれまで肉親を亡くした方に自分の対応はどうだったのだろうと反省しました。

 

母が亡くなって1週間くらいはあっという間にすぎ、2週間目になったころ、「私は離れて暮らしていたしそんなに日々の生活も心情的にも変わらないんじゃないか」と思っていたのですが、やっぱり何かが大きく違うんですね。日々感じる音や目に映るもの、肌に感じる風や一緒にいる人でさえ今までと違って見えました。異様にクリアな感じがしました。特別何かが変わったわけでもないのにまるで違う世界に来てしまったかのような感覚に怖いと思いました。親が死ぬって今までと違う世界に生きるってことなんだ、と自覚してこの世界に慣れなきゃいけないんだなと思いました。1週間もしないで慣れた気もします。

悲しみとか別の次元のものですね。

 

ちょうどそのころ患者さんにお借りした本の一部にいろは歌の意味を紹介されていたのですが、それを読んで自分の経験は臨死体験のような気がしました。

 

詳細はまた次回にします。

 

 

2.母親が死ぬということ・なぜ治療師になったのか

 

昨年10月に母親が63歳で亡くなりました。

直腸がんでした。

 

昨年の元旦に帰った際、母親から鼠径部にしこりがあると言われ身体を診るとぞっとしました。糖尿病があっても鍼治療を受けることは可能なのに糖尿病のある母親は「私は鍼を受けられない」頑固に拒否するので私もあえて身体をきちんと診てこなかったのですが、改めてきちんと診るととても危険な感じがしました。「やばそうだから早く検査を受けたほうがいいよ」とだけ言って東京に帰りました。

それから約1か月後、夢に母親が出てきて「くみちゃんは日曜日、救急車間に合わない」と真剣な顔で訴えるのが気になり、実家に電話すると母親が緊急入院したと言われ驚きました。看護師をしている母は勤め先の病院で鼠径部が痛くなり足が上がらなくなったので医師に診てもらうと「鼠径ヘルニアだよ」とグイグイ押されたところ高熱が出て緊急入院したとのことでした。

 

私はぞっとしたものを押しちゃったんだ、と思いましたが結局検査結果はステージ4のがんで直腸がんからのリンパ節転移による鼠径部にしこりができていたことがわかりました。

その後、すぐに抗がん剤治療が始まりました。

私は身体に負担も大きいし、もうその状態では積極的に治療するのは無理だから抗がん剤治療はやめてほしい、鍼ならがんの進行は止められないかもしれないけど痛みが軽減できる可能性があるから、と言ったのですがまったく聞き入れてもらえませんでした。

 

結局、夏には自力で歩くのも大変な状態になり、最後1か月くらいは寝返りすら自力でできず、痛みの軽減のためか強い薬を投与されたらしく、意識も朦朧をしていました。

身内の方を突然死で亡くされている人には「さよならを言う時間があってよかったね」などと言われることがあるのですが、結局最後まで親が死ぬ、ということに覚悟もできなかったし、見たことがないくらいにやせ細り苦しむ母親の姿を見るのは家族にとってはとても残酷で耐え難いものがありました。私の場合、娘なのに毎日会うこともかなわず、治療師なのに治療してあげることもできず、なんともいえない日々でした。

 

亡くなる5日前に夢で母親と「あとどのくらい持つ?」「あと2、3日かな」という会話をして覚悟して群馬に帰りました。これが生きている最後なんだろうなと思い、なんて声をかけようかと悩んだのですが結局、「またね」と言い、母は小さな声で「元気でね」と返してくれました。結局最期を看取ることはできませんでした。

 葬儀などは父や姉が色々と取り仕切ってくれて私は最初から最後まで嫁にでた娘としての立場で何ができるわけでもなく見送りました。

 

 

これまで実家の群馬には年に二回帰るのみで交流が少なく希薄な関係でした。

高校を卒業してからはずっとそんな感じで、例えば私が栃木に5年間住んでいても京都に5年間住んでいても東京に住み始めても会いに来るということはありませんでした。

4年前に東京に住む際に、父親に賃貸マンションの保証人になってほしいと言え断られ母親には実家に帰った際に「ただいま」というと「ただいまっていうのはおかしいんじゃないか」と言われ、子供を連れて出戻った姉と自立しない弟はいいのかと思いながらも夫のおかげで精神的にも経済的にも自立できていることに感謝していました。

 

 

それでも、鍼灸師として治療院も構えたのに興味も持たず、東京に来ることはあっても私のところにくることはなかった実家に人たちに対してやはり寂しさを感じずにはいられなかったです。

何のために誰のために治療師になったのだろうと考える1年でした。

私が高校二年のときに父親が鬱病になり、長期に仕事を休職したことがありました。そこから、働く人のストレスを軽減するには、というテーマでずっと生きてきた気がします。今も働く人を応援したいというのは変わらず、多少身体のあちこちにトラブルを抱えていても元気に明るく楽しく毎日を送ってほしいと思います。元気であれば周囲の人の気持ちも和みます。

父親と一緒にいるのは大変気を使います。もっともそばにいた母はもっとも影響を受けたのだろうと思います。私自身、父親のことを好きになれず干渉する気になれないのですが、父親のような人を治したいと思ったのが治療師へのきっかけだったように思います。

これからも働く人を元気づけたり勇気づけることができたらうれしいなと思います。

 

 

母親の死からも学ぶことは多く、気づかされることも多かったのでまた次の機会に書くことにします。

 

1.肌について①

 

先日AEA上級認定エステティシャン資格の更新のための試験問題や手続きの書類をエステのお師匠さんから送ってもらいました。

 

そもそもニキビなのか吹き出物なのか顔に沢山できてしまい、傷跡のようになってしまった顔をどうにかしたくてエステの世界に入ろうと思っていたのですが・・・

 

今私は経絡治療という鍼灸治療だけで治療をしているのでエステもマッサージもしていません。

 

ニキビやニキビ跡を治したくて皮膚科に行ってケミカルピーリングもしてみました。

 

鍼灸の国家資格を取るために学校に行きはじめ美顔鍼の勉強もしました。

 

確かに綺麗になります。

 

でも

 

何か違う???何が違うの???と思って資格は取ったけど研究の道へ。

 

皮膚は身体のもっとも外側にあって身体を守っています。

肌と免疫を勉強できるのか、と免疫微生物学教室に入らせてもらいとても良い経験は積めたけどやっぱり何か違う、どころかかなり違う・・・。

 

打ちのめされて肌なんてもうどうでもいいやくらいに思っていたところへ経絡治療に出会いました。

 

鍼灸治療によって身体の中から変わると内側から輝くような肌に変化する、だけでなくスタイルも良くなります。

 

だからわざわざ顔を綺麗にしようと思って治療をすることはほとんどありません。

もともと本院に来院される方は肌の綺麗な方が多いのですが

ほとんどの人が一回の治療でも肌の変化を感じてくれます。

 

回数を重ねるとふんわりとしたオーラが出てくるような輝きを放ちます。

 

 

もちろん日頃のケア、生活が悪いとあまり良い結果は生まれませんがそれでも鍼灸の効果に助けてもらえます。

 

 

AEA上級認定エステティシャンの資格を取ったころからを思い出し長文になってしまいましたが、結局私は肌に対しての執着心ともいえる興味関心が常にあり続けて今に至っているんだなと自覚できた一日でした。

  1. 肌について①

 

先日AEA上級認定エステティシャン資格の更新のための試験問題や手続きの書類をエステのお師匠さんから送ってもらいました。

 

そもそもニキビなのか吹き出物なのか顔に沢山できてしまい、傷跡のようになってしまった顔をどうにかしたくてエステの世界に入ろうと思っていたのですが・・・

 

今私は経絡治療という鍼灸治療だけで治療をしているのでエステもマッサージもしていません。

 

ニキビやニキビ跡を治したくて皮膚科に行ってケミカルピーリングもしてみました。

 

鍼灸の国家資格を取るために学校に行きはじめ美顔鍼の勉強もしました。

 

確かに綺麗になります。

 

でも

 

何か違う???何が違うの???と思って資格は取ったけど研究の道へ。

 

皮膚は身体のもっとも外側にあって身体を守っています。

肌と免疫を勉強できるのか、と免疫微生物学教室に入らせてもらいとても良い経験は積めたけどやっぱり何か違う、どころかかなり違う・・・。

 

打ちのめされて肌なんてもうどうでもいいやくらいに思っていたところへ経絡治療に出会いました。

 

鍼灸治療によって身体の中から変わると内側から輝くような肌に変化する、だけでなくスタイルも良くなります。

 

だからわざわざ顔を綺麗にしようと思って治療をすることはほとんどありません。

もともと本院に来院される方は肌の綺麗な方が多いのですが

ほとんどの人が一回の治療でも肌の変化を感じてくれます。

 

回数を重ねるとふんわりとしたオーラが出てくるような輝きを放ちます。

 

 

もちろん日頃のケア、生活が悪いとあまり良い結果は生まれませんがそれでも鍼灸の効果に助けてもらえます。

 

 

AEA上級認定エステティシャンの資格を取ったころからを思い出し長文になってしまいましたが、結局私は肌に対しての執着心ともいえる興味関心が常にあり続けて今に至っているんだなと自覚できた一日でした。

肌について②

 

前回からずいぶん時間がたってしまいました。

 

何やら年末年始バタバタしてしまいまして・・・

というかそのためにおなかと背中、腰にかゆーい!という湿疹ができてしまいました。

 

おなかと背中腰、足にかけて赤くはれてかゆかったのもようやく最近ひっこんでくれました。鍼灸治療が功を奏しました。

 

開業して1年になりますが、のんびりマイペースに仕事をしています。

患者さんにももっと宣伝がんばってと言われてしまうくらいですが・・・

とても気持ちのよい患者さんばかり来てくださってストレスも少なくのびのびお仕事させてもらってます。

私としては日々幸せに暮らしております。

 

が!そんな私に何かとストレスを与える人はいるもので・・人は自分とは違う種類の人を見ると余計な言動をしたくなるんでしょうかね・・普段何かと言われ放題な私です。

 

何か言われても大概のことは流します。

また言われたなあと思うくらいで滅多に怒らないです。

他の人からみたらそこ!?みたいなところでぷりぷりしていることはあります。

 

ところが年末に相当頭にくることがありました。

夫に「お前はふだん怒るところを間違えているけどな、今回は怒ってもいいことだぞ」と言われるくらいのレベルの怒りを身体で感じました。

 

7年くらい前にも同じくらいの怒りを感じたとき、高熱をだし激しくせき込みました。

 

今回、頭に血が上るという感覚を感じたのでとっさに鍼治療をしました。

上にあがってしまった怒りの炎を下げないとまた熱をだすと思い、できるだけ気血を下に下げる治療をしました。

 

結果熱も出さず、咳も出ずに済んだのですが・・・全身がちりっちりっとあちこち痛くなり、おなかのなかに何かいるのではないかと思うようなうごめく感じがして皮膚は赤くミミズばれのようにはれました。

いわゆる腹の虫が収まらないという状態でしょうか、気持ちはしばらくして落ち着いたのですがおなかと背中と腰の肌の赤みとかゆみはさらに長く続きました。

 

 

えーっと、一言で言ってしまえばストレスって怖いですね。

何のトラブルもなかった肌にこんなに影響するくらい。

肌がきれいな状態=ストレスが少ない状態 とは言い切れませんが、少なくとも私は患者さんの肌の状態をよく診ます。

 

肌状態は心身の状態がいいか悪いかを外から診てチェックできるいい項目になります。

 

日頃ストレスを感じ続けて我慢している人はもちろん、ストレスの自覚のない人でも肌に出ていることはよくあることです。

 

赤くぷつぷつできていたり

毛穴が開きすぎたり

やたら黒ずんでいたり

妙にカサカサしていたり

部分部分で冷たすぎたり熱すぎたり

触れると感覚が変とか皮膚が薄すぎるなどなど

 

肌ってとっても正直だと思います。

 

 

自分の身体のことをあまり考えない人って結構いますよね。

肌の異常に限らず、痛み、かゆみ、しびれなどの神経的な異常をこんなものかと長期間放っておかないでください。

すぐに対処したら治るものであれば治療に要する時間も短くて済みます。

 

しかしなかには大変な病気が隠れていることもあります。

治るものも治らない状態まで放っておくことって結局自分のためにも周りの人のためにもならないと思います。

 

入院するという事態になったりしたら・・・

仕事や趣味などやりたいこともできなくなり思うままに身体も動かせないなど・・・

家族や友人知人に心配や迷惑(と言い切ってしまいますが)をかけお金もかかり・・・

 

例えば身体の異常に何の自覚もなく、突然病がわかったなら仕方ないと思います。

でも何らかの異常を感じながらも何もしないというのはいざとなったら家族や周囲に頼ればといいと思っているのではないでしょうか。

 

痛みや何か症状があるとき周囲につい言いたくなります。

痛い、つらい、など聞いている家族や友人はいい気分がしないと思います。

 

家で私が身体の症状を言うと夫は心配性なのですぐに「病院へ行け」と言います。

なのでできるかぎり言わないようにしてます。最近は痛みやつらかったら黙って鍼治療をしています。

 

 

時間があいて書いたクミコラムですが話がまとまらないような気もしますが・・・

 

大切なことは

日々ストレスをためず

我慢はしすぎず

今の自分にできることをする

自分を大事にすることは他人を大事にすることと同じこと

 

日々自分の体調を管理してあげてくださいね。